2007-11-13 ハンドボール スター、ユン・ギョンシンのとても特別だった逆転ゴール 7日明け方(韓国時間)ドイツTV放送会社のDSFで放送されたハンドボールの試合 で顔見知りの選手を1人発見することができた。 ホームチームのTHWキールと遠征チームのハンブルグSVとの試合で、唯一眼に触れた 選手は他でもないハンブルグ所属のユン・キョンシン(34才)だった。 韓国ハンドボール代表チームの看板スターでドイツ・ブンデスリーガで通算7回も得点 王になったユン・ギョンシンは通算2751得点(2007年10月11日現在)で現 在ブンデスリーガ通算最多得点記録の更新を継続している。サッカーにたとえれば、「 得点機械」と言われたケルトゥ・ミュラーと張り合うほどの伝説を持つ選手だ。 選手として成し遂げることの全てを全て成し遂げたユン・キョンシンがキールとの試合で唯一 眼に触れたことは違いでなければ彼の解決者的気質を遺憾なく見せたためだ。 ユン・ギョンシンは、30-30同点の中で1人が2分間退場になり、数的不利の状況 で試合終了まで、わずか3秒を残して値千金のミドルの決勝ゴールを炸裂させて、チーム に勝利を抱かれた。 ユン・ギョンシンの逆転ゴールが試合終盤にたびたび見られる逆転シュートだったら感動 が減ることもあった。だが、相手チームがキールであったという点で最後の瞬間にさく烈 したユン・ギョンシンの逆転ゴールは単純な1ゴール以上の意味を持った。 それもそのはず。この日の競技は、1999年創立されたハンブルク史上リーグ最強チー ム・キールとのアウェーでおさめた最初の勝利であった。2006年9月6日からホーム で行われた29回の公式試合でただ1回も敗れなかったキールに痛恨の負けを与えた 瞬間だった。 キールは昨シーズンまでのリーグ戦で3連覇を成し遂げ、通算13回優勝して、12回 優勝のVfLグンマースバッハ抜いて歴代最多優勝チームになった強いチームだ。 特に昨シーズンにはヨーロッパ・チャンピオンズリーグでも優勝して、名実共にヨーロッ パ最高チームの隊列に上った。今シーズンは12試合を行い現在、10勝2敗で勝点2 0点で1位。 ユン・ギョンシンの逆転ゴールで勝利が確定した瞬間すべてのハンブルグの選手たちがユ ン・ギョンシンを中心にあたかも優勝でも占めたように一度にごろごろしながら,勝利の 喜びを満喫した。 この日、7mスローを6回も防いだ、ゴールキーパーのヨハネス・ ビッターは、この日11得点のユン・キョンシンと同じく勝利の立役者だった。 ハンブルグはキールとの試合結果を含んで、今シーズン9勝1分1敗を記録して、勝点19点 で2位で、今シーズン、初優勝を眺めている。キールより1試合をあまり払わなかった状況だ からまもなく1位になる可能性も高いほうだ。 昨シーズン開始と共に10年間在籍したグンマースバッハを離れて、ハンブルグのユニフ ォームに着替えたユン・ギョンシンにいて,今シーズンはその意味が特別だ。今シーズ ンを最後に現役引退を表明したためだ。韓国に復帰した後はスポーツ・マーケティングを 勉強しながら、現役生活をもう少し続けるという意向を現わしたことがある。 ブンデスリーガで歴代最高の選手に選ばれるのに不足のない派手な経歴を積み重ねたユン・キ ョンシンだが、ひとつ足りないのはまさにリーグ優勝経験だ。グンマースバッハを経て、ハン ブルグに至るまでただ一度の優勝も経験できず、運がなかった。 劇的な勝負の末に強豪キールをはね除けながら,優勝に向かって順調な航海を継続しているハ ンブルグが終盤まで勢いを持続して,ブンデスリーガー歴史上初優勝を成し遂げられるか期待 される中で現役での最後花火を燃やしているユン・ギョンシンは初めてで最後になるブン デスリーガ優勝に挑戦している。 まだ、国内では不人気種目というくびきを抜け出せずにいるハンドボールなのでユン・キョン シンに対する関心がそんなに大きくないのが事実だ。 だが、すべてのスポーツ種目を問わず海 外進出を成し遂げた選手たち中最も派手な経歴と巨大な足跡を残した選手たち中一つがまさ にユン・ギョンシンに間違いない。 [ブンデスリーガ最強チーム キールとの試合で決勝ゴールを入れた後、びっくりして飛び 上がりながら喜ぶユン・ギョンシン(写真の上). 同僚らに囲まれて,喜びを満喫するユン ・キョンシン。写真=ハンブルグ球団ホームページ]
2007-11-14 仁川・暁明建設ハンドボールチームついに解体 親会社が最終不渡りを理由に創立4年で廃部。引き受け企業2~3ヶ所接触 世界最強を自慢する仁川・暁明建設ハンドボールチームが13日親企業の最終不渡りで 廃部される。 仁川市庁(1974年)、真珠ハム(1991年)、第一生命、アリアンツ(1997年 ~2003年)、暁明建設(2004年)と続いてきた仁川女子実業団ハンドボールの 命脈が切れる危機に置かれた。国家代表7人が所属する暁明建設は2004年創立以来 その間各種全国大会で10回余りも優勝しながら,名実共に韓国女子ハンドボールの最強 者で君臨してきた。 特に2004年第85回大会の時から仁川代表で全国体育典に参加して、優勝2回(2 006、2007)、準優勝(2005年)、3位(2004年)の成績を残しながら、ハ ンドボールを仁川の孝行息子種目で磐石の上に上げておくこともした。 1998年、鐘根堂監督当時、廃部を体験したのに続き2番目のチームも廃部となるこ とになったイム・ヨンチョル暁明建設監督は、「今まで物心両面支援して頂いた全ての方々に感 謝を申し上げる"として、「一生、ハンドボールだけしてきた私と選手たちはどんな状況 になっても力をつけることだけを考える」と淡々と話した。 イム監督は自身が所属するチームの廃部の前でも現在、国家代表チームを率いてオース トリアで現地訓練中(2~17日)だ。 キム・ジョンハ大韓ハンドボール協会名誉会長(前大韓体育会長)は、「暁明建設選手たちの運 命は仁川市がどんな決定を下すかにより変わること"としながら、「仁川市が新しくハンドボー ルチームを運営する企業を交渉したり自らのチームを運営する方法があるだろう」と話した。 2014仁川アジア大会組織委員会顧問のキム名誉会長は既にこの問題でアン・サンス 仁川市長と2回の面談をしたことが分かった。 キム・オクキ仁川市ハンドボール協会長は"新一建業の暁明建設、引き受け放棄で暁明建設 ハンドボールチームが新しい状況をむかえることになった"として「2~3日中に解決 策が出てくるだろう」と期待した。 市と市ハンドボール協会は暁明ハンドボールチームを取得する郷土中堅企業2~3ヶ所と活発 に接触していて不如意である場合、市環境施設公団に新しく女子実業団ハンドボールチームを創立する方案も検討中だと知らされた。実業団ハンドボールチーム運営には年間15億~20億ウォンの費用が必要と分かった。